阿佐ヶ谷住宅年譜
年月 | 阿佐ヶ谷住宅の動き/日本住宅公団の動き | 杉並区の動き/日本・世界の動き | |
1955 | 昭和30年 | ・7月 日本住宅公団設立 |
・4月 住宅不足数284万戸(建設省) ・7月 東京・銀座等、蛍光灯の街灯設置 |
1956 | 昭和31年 | ・年末 成宗田圃の買収交渉着手 | ・7月 昭和31年度経済白書「もはや戦後ではない」 |
1957 | 昭和32年 | ・12月 前川テラスハウス第1号(鷺宮住宅)入居開始 |
・5月 営団地下鉄荻窪線(現東京メトロ丸ノ内線)新宿駅~荻窪駅間基本計画決定 ・7月 なべ底不況(昭和33年6月まで) |
1958 | 昭和33年 |
・3月 前川テラスハウス第2号(烏山住宅)入居開始 ・7月 阿佐ヶ谷住宅分譲受付開始(8月15日まで) ・8月 阿佐ヶ谷住宅入居開始 ・11月 東京支所募集パンフレットの表紙で「団地」初出 ・ステンレス流し台全面採用 ・高架水槽方式(給水塔)による給水開始 ・中層棟団地で洋式トイレ初採用「冷たくて非常識」とクレーム ・団地ノイローゼ問題、カギッ子問題 ・普通分譲住宅建設を縮小 |
・3月 神宮外苑に国立競技場落成 ・7月 岩戸景気(昭和36年12月まで) ・12月 東京タワー完成 ・平均的サラリーマンの初任給約1万円強 ・『週刊朝日』に「団地族」という言葉が初登場 |
1959 | 昭和34年 |
・3月 阿佐ヶ谷住宅親睦会結成 ・6月 公衆電話設置、赤電話取次ぎサービス開始 ・中央広場で第1回大運動会 |
・3月 営団地下鉄荻窪線、建設工事着手 ・4月 皇太子殿下ご成婚 ・7月 「国民生活白書」住宅事情はまだ戦後 |
1960 | 昭和35年 | ・「郵便切手及び印紙売りさばき所」の業務委託を受け、集会所で切手販売開始 ・津端修一、東京支所から異動 ・普通分譲住宅建設を中止 ・テラスハウスの採用打ち止め |
・7月 東京芝浦電気、日本初のカラーテレビ発売(42万円) ・9月 カラーテレビ本放送を開始 ・12月 「国民所得倍増計画」閣議決定 |
1961 | 昭和36年 | ・4月 阿佐ヶ谷住宅管理組合による建築協定(紳士協定)制定 |
・(独)8月 東西ベルリンの境界に壁を構築 ・11月 営団地下鉄荻窪線、新中野駅~南阿佐ケ谷駅開通 |
1962 | 昭和37年 |
・4月 所有者協議会を阿佐ヶ谷住宅管理組合に改組(管理組合第1号) ・4月 ㈱団地サービスに管理委託する方式に変更(分譲住宅の管理業務委託の第1号) |
・1月 営団地下鉄荻窪線、南阿佐ケ谷駅~荻窪駅開通 ・2月 国鉄中央線、中野駅~三鷹駅間の高架複々線化工事着工 ・3月 営団地下鉄荻窪線分岐線、中野富士見町駅~方南町駅開通 ・4月 区分所有法施行 分譲マンションが財産に ・11月 オリンピック景気(昭和39年10月まで) ・新幹線と東京オリンピックの工事が重なりセメント不足 |
1963 | 昭和38年 |
・9月 住居表示実施開始 ・12月 都電杉並線廃止 |
|
1964 | 昭和39年 | ・1月 東京支所4年ぶりに普通分譲住宅の募集開始 |
・3月 環状七号線開通 ・9月 営団地下鉄荻窪線、東高円寺駅開業 ・9月 国鉄中央線、中野駅~荻窪駅間の高架化完成 ・10月 東海道新幹線、営業開始 ・10月 東京で第18回オリンピック開幕 |
1965 | 昭和40年 | ・11月 いざなぎ景気(昭和45年7月まで) | |
1966 | 昭和41年 | ・給水塔による給水から高置水槽方式へ |
・4月 国鉄中央線、中野駅~荻窪駅間の複々線化完成 ・新三種の神器(カラーテレビ、クーラー、カー)3C時代 |
1967 | 昭和42年 | ・9月 ダイニング・キッチンが狭すぎると人気低下 | |
1968 | 昭和43年 |
・4月 東京初の超高層ビル(霞ヶ関ビル)完成 ・12月 三億円事件 |
|
1969 | 昭和44年 | ・11月 住居表示実施で、所在地が成宗1丁目から成田東4丁目へ |
・4月 国鉄中央線、荻窪駅~三鷹駅間の高架複々線化完成 ・11月 住居表示実施完了 |
1970 | 昭和45年 |
・3月 大阪で日本万国博覧会 ・3月 赤軍派、日航機よど号ハイジャック ・11月 三島由紀夫 市ヶ谷で割腹自殺 |
|
1972 | 昭和47年 |
・2月 営団地下鉄荻窪線、営団地下鉄丸ノ内線に名称変更 ・2月 連合赤軍 浅間山荘事件 ・6月 日本列島改造論(地価高騰) |
|
1973 | 昭和48年 | ・9月 みどりの条例制定 ・10月 経済企画庁「庭付き一戸建てはもはや夢」 ・10月 オイルショック |
|
1974 | 昭和49年 | ・6月 再開発検討委員会の設置(第1回再開発検討 昭和52年3月まで) | |
1977 | 昭和52年 | ・12月 標準設計の廃止 | ・12月 「杉並区基本構想」区議会で決議 |
1981 | 昭和56年 | ・10月 日本住宅公団と宅地開発公団合併、住宅・都市整備公団発足 | ・3月 中杉通り開通式 |
1983 | 昭和58年 | ・杉並区と緑の育成協定を締結。区から苗木提供(平成3年まで) | ・10月 杉並区地区計画の区域内における 建築物の制限に関する条例 公布施行 |
1985 | 昭和60年 | ・4月 日本電信電話公社、日本専売公社民営化 | |
1986 | 昭和61年 | ・12月 バブル景気(平成3年度まで) | |
1987 | 昭和62年 | ・6月 再開発委員会の設置(第2回再開発検討 平成元年3月まで) |
・3月 国鉄民営化 ・6月 情報公開・個人情報保護制度スタート |
1989 | 昭和64/平成元年 | ・10月 再開発推進委員会の設置 |
・4月 消費税法施行 ・(独)11月 ベルリンの壁崩壊 |
1991 | 平成3年 |
・(蘇)12月 ソビエト連邦崩壊 ・バブル崩壊 |
|
1993 | 平成5年 | ・3月 住宅基本条例制定 | |
1994 | 平成6年 | ・11月 阿佐ヶ谷住宅再開発委員会設立(第3回再開発検討) | |
1995 | 平成7年 |
・1月 阪神・淡路大震災 ・3月 地下鉄サリン事件 |
|
1996 | 平成8年 | ・2月 杉並区環境基本計画策定 | |
1997 | 平成9年 | ・5月 まちづくり基本方針策定 | |
1998 | 平成10年 |
・3月 杉並区が「公団分譲阿佐ヶ谷団地建替え及び周辺整備のための基礎研究」作成 ・10月 ゼネコンが中層棟2棟取得、最大地権者に |
|
1999 | 平成11年 |
・2月 再開発委員会事務局開設 ・10月 住宅・都市整備公団廃止、都市基盤整備公団設立 ・分譲事業撤退 |
・3月 「杉並区みどりの基本計画」策定 ・11月 建築基準法(一の敷地とみなすこと等による制限の緩和)施行 |
2000 | 平成12年 | ・11月 南北バス「すぎ丸」運航開始 | |
2001 | 平成13年 | ・10月 杉並区が「団地再生基本方針及び建替え対応について」方針決定し、阿佐ヶ谷住宅に説明 |
・3月 政府、戦後初のデフレを公式に認める ・(米)9月 米国同時多発テロ |
2002 | 平成14年 | ・2月 いざなみ景気(平成20年2月まで) | |
2003 | 平成15年 |
・10月 周辺住民に初めて再開発計画の説明会 ・12月 周辺住民が「阿佐ヶ谷住宅高層化など反対協議会」設立 |
・7月 杉並区「まちづくり条例」全部施行 ・12月 道路公団民営化 |
2004 | 平成16年 |
・5月 杉並区が「成田地域まちづくり協議会」開催(10月まで) ・7月 都市基盤整備公団廃止、UR都市再生機構設立 |
・10月 南北バスすぎ丸「さくら路線」開通 |
2005 | 平成17年 |
・8月 杉並区「成田東四丁目地区(阿佐ヶ谷住宅)地区計画」発表 ・11月 「阿佐ヶ谷住宅高層化など反対協議会」陳情提出 ・11月 区分所有法の建替え決議成立 |
・7月 経済財政白書「バブル後」脱出宣言 |
2006 | 平成18年 |
・3月 「阿佐ヶ谷住宅高層化など反対協議会」陳情提出 ・3月 権利者全員合意「阿佐ヶ谷住宅建替え組合」発足 |
・7月 「杉並区みどりの条例」施行 ・10月 すぎなみアニメキャラクター「なみすけ」を発表 |
2007 | 平成19年 | ・10月 郵政民営化スタート | |
2008 | 平成20年 |
・2月 「阿佐ヶ谷住宅建替え組合」企画提案書を杉並区に提出 ・10月 杉並区が企画提案書を東京都へ提出、都市計画手続き開始 |
・9月 リーマンショック ・12月 南北バスすぎ丸「かえで路線」開通 |
2009 | 平成21年 |
・6月 東京都都市計画地区計画「成田東四丁目地区」決定 ・10月 杉並区が「杉並区地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例の一部を改正する条例」施行 |
|
2011 | 平成23年 | ・3月 東日本大震災発生 | |
2013 | 平成25年 | ・3月末日、(仮)阿佐ヶ谷住宅建替計画1期工事(解体)開始 | |
2014 | 平成26年 | ・4月30日、(仮)阿佐ヶ谷住宅建替計画1期工事(解体)終了 |